作品抜粋

 

金属線を織る     熊井恭子

1945年3月10日私は東京大空襲に見舞われた。2才直前であったので実感はない。命からがら両親の故郷大分県に疎開した。戦禍を免れた手付かずの大自然が広がっていた。その中で私は毎日一人遊びに興じた。言葉以前の地球星からの驚きに満ちたメッセージを脳に刻み込む日々であった。敗戦後の国には食物も衣服も不足していて玩具などは皆無であった。しかし子供達はマイペースに工夫という友人との遊びに夢中であった。何でも玩具になった。石、藁、縄、草、糸、布、瓦の欠片、防弾ガラス・・・。面白かったなー。4才の時、緑の稲草が揺れていたので祖母に何かと訊ねた。「草の息」という言葉が返ってきた。私が言語という力に出会った瞬間だった。その光景には80才になった今でも心が揺れる。

私が東京芸術大学を卒業して2年後1968年頃「手織り」という言葉に出会った。経糸と緯糸を交差させると布になるらしい。この不思議を体験したくて織りの世界に飛び込んだ。

26才の時やっとマフラーを織ることができた。その後様々な技法で平面作品を制作して建築空間に設置した。1975年頃から布を膨らませてみたいという衝動に駆られて経糸に金属線を使ってみた。背骨を持つ布が誕生し膨らんだ布を作ることができた。この金属線が光を反射して燦めく様を主役にしたいという欲望に勝てず前面に使用した作品が「風の道」である。経糸にステンレス線、緯糸に黒木綿糸、40cm平方の布を500枚ほど織って縫い合わせたものである。3年程の時間を投入した。この作品は1987年第13回ローザンヌ国際タペストリービエンナーレに入選した。幼少期の草と風の思い出が布という形に結実したとも思う。

100年前ホアン・ミロが友人に宛てた手紙に書いたことばを引用する。「一枚の草の葉には、一本の木や山と同じだけの魅力がある。原始の人々や日本人の他は、殆ど誰もがこれほどに神聖なことを見過ごしている」。

 

| 1 | 背骨を持った布
Clothes with Backbones
| 6 | 不織布の展開─2
Off Loom Works-2
| 2 | 金属布の誕生と展開
The Birth of Metallic Clothes
| 7 | ミニアチュールとライティングオブジェクトン
Miniatures & Lighting Objects
| 3 | 不織布の誕生と展開─1
Off Loom Works-1
| 8 | チタンを織る
Weaving Titanium Tapes
| 4 | 球体の誕生と展開
The Birth of Spheres & Bowls
| 9 | 建築空間への展開
Commission Works
| 5 | スクリーン
Screens
| 10 | 街なかアートスペースでの発表
Art Space in Town
| 11 | 日本クラフト展作品
Works of Japan Craft Exhibition